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新村正人(にいむら・まさと)元内閣府・情報公開個人情報保護審査会会長)が二〇〇〇年一一月に東京高裁裁判長として「花岡和解」をとりまとめた背景について月刊誌「世界」( 19年2月号)に寄稿文を掲載し、元徴用工訴訟問題の解決に向けた意見を明らかにした。
二〇〇〇年(平成一二年)一一月二九日、東京高等裁判所は、戦時中秋田県花岡の鹿島組の鉱山に強制連行され過酷な労働に従事させられた中国人労働者が、一九四五年六月三〇日に蜂起し鎮圧され、拷問の末に虐殺された、いわゆる花岡事件の被害者らが鹿島建設に対し損害賠償を求めた訴訟において、同社が中国の赤十字社に五億円を提供して被害者全員の救済を図る方法で和解を成立させた。
私はこの訴訟を担当する合議体の裁判長をつとめ、和解をとりまとめるにあたり、当事者の提出した証拠資料から、同じ敗戦国であるドイツが第二次大戦の戦争被害者に対する補償に積極的に取り組んでいることを知ったのである。
和解の折衝は困難を極めたが、このドイツの例に力を得て光明を見出そうと辛苦し努力した結果が、前記方式による和解の成立であって、異例ではあるが裁判所の「所感」として述べた中に「戦争がもたらした被害の回復に向けた諸外国の努力の軌跡とその成果にも心を配り」としてその経緯を明らかにしている。
ドイツがヒトラー時代の負の遺産を今も保存し公開して過去の歴史に真摯に向き合い、かつその記憶を承継していることに深い感銘を受け、戦後補償に対する国としての姿勢も同じものであることを認識したのである。
NHKに寄せた手記
花岡の和解成立後、中国人労働者の蜂起(一九四五年)七〇年に合わせてNHK秋田放送局が特集番組を制作した。番組では、東京高裁でさきに成立した和解について、中国人強制連行の裁判では初めての和解であり戦後補償のモデルケースになったと、その意義が説明されており、私が提供した手記の一部が写真入りで紹介された。私はその中で次のように述べたのである。
「一地方公共団体が公の立場で市民と一体になって慰霊の式典を毎年挙行していることに強く感銘を受けました。
日中関係について謙虚に歴史に向き合うことがまずもって日本の側に求められている、そのことを国の指導的立場にある人々にはもっと強く認識していただきたい。和解の成立は当事者双方が聡明にして未来を見据えた解決の方法を模索し努力した結果であり、この貴重な成果を範とし民間のレベルで解決を図る積み重ねが底流となって日中関係が良い方向に向かうことを期待します。縁あって花岡事件に関わった者の希望です。」
和解の意義
花岡の和解は、成立後間もなく一部の関係者から強固な反対と非難の攻撃を受け、戦後補償のあり方、方式等も含めて議論の応酬があり、検証作業まで行われたが、NHKの特集番組に言うように戦後補償のモデルケースとしておおむね好意的に受け止められ、最高裁判所が中国人労働者の企業に対する損害賠償請求を否定した二〇〇七年四月二七日判決において、当該企業を含む関係者において被害者の被害の救済に向けた努力をすることが期待されるとの付言をしたのも、この和解の成果を意識したものと理解される。また、その後、企業との間で裁判上の和解が成立した複数の事件にも影響を及ぼしたと考えられるので、その先鞭をつけた私ども合議体の努力が関係者から評価されたものと受け止め、有難いことと思っている。
もっとも、ここで強調したいのは、花岡の訴訟における被告企業である鹿島の英断である。
鹿島はこれより先、一九九〇年七月五日の被害労働者側との共同声明で、花岡事件が強制連行・労働に起因する歴史的事実であることを認め、企業としても責任があると認識し、当該中国人生存者及びその遺族に対し深甚な謝罪の意を表明するとしていたのであり、当然のことながらこれなくしては和解の成立はあり得なかった。前記東京高裁の所感及びNHKに提供した私の手記中に、和解の成立について当事者双方が聡明にして未来を見据えた解決の方法を模索し努力した結果であると述べたのは、原告の被害者側についても当てはまるが、被告鹿島の側の英断に集約される解決に向けた積極的な姿勢に敬意を表したものであることは明らかである。
韓国大法院判決
韓国人の元徴用工が韓国の裁判所に提起した日本企業に対する損害賠償請求訴訟において、韓国大法院は二〇一八年一〇月三〇日請求を認め、日本企業に損害賠償を命じ、本稿執筆時においてその後に続く二件の訴訟(一件の原告は元女子挺身隊員)でも同様の判断が示されている。
ポツダム宣言の受諾により日本は無条件降伏すると共にカイロ宣言を受けて過去に支配、侵略して得た領土を失い、朝鮮に対する三五年の長きにわたる植民地支配は終わりを告げた。その間朝鮮国民の受けた苦難は多数、多方面にわたり、その被った損害に対する賠償が当然問題となったが、一九六五年の日韓請求権協定により完全かつ最終的に解決したものとされ、それは日韓両政府の共通の理解であった。
今回の大法院判決はこのような理解に逆らうものであり、報ぜられた判決理由の概要によれば、当該訴訟で主張されている請求権は日本の植民地支配の不法性を前提とし、日本企業の反人道的不法行為を理由とする慰謝料請求権であって、日韓請求権協定の対象とはなっていないというもののようである。個別意見、補足意見、反対意見も付され七名の多数意見のようであるから、きわどいようにも思われるが、思い切った判断である。
今回の大法院判決をあたかも暴挙であるかのごとく言い立てて非難するのは慎むべきではないか。請求権協定で放棄したのは外交保護権であり個人の損害賠償請求権は消滅していないとしてこの判決の論理運びを支持するかの論調も、我が国の一部の識者から示されており、そもそも日本政府は個人の請求権は消滅していないという立場を維持し続けていたはずである。
国家間の条約、協定で個人の請求権を一方的に消滅させ、裁判上請求することができないとするのが自明の理なのか、この辺りの基本に立ち返って考えるべきではないかと思われる。被害事実が認められ被害者個人に対する権利侵害があって救済の必要があると認められるが、大きな壁があるという場合、裁判官としては、壁より先に進めないとして請求を認めないという安易な決着に走ることはあり得るが、壁を突き破るための理論構成を組み立てる、あるいは壁があるのはやむを得ないとしつつ、これを迂回して他の解決方法を探る等の選択肢も考えられるところであって、花岡の和解は後者、韓国大法院判決は前者の道を取ったと言えよう。
個人的感懐
韓国の裁判所の判決により混迷を来したかのようにも思われるが、これを機に前記自明の理か否かの議論を深めると共に、「個人の人権尊重に比重」を移し、例えばドイツの解決例を教材とし、また身近な日本企業との和解例にならい、官民が一体となってあらためて戦後補償の問題に取り組むのが望ましいように思われる。
そのためには、企業の側としては花岡の和解における鹿島の経営者が取った責任ある態度と大所高所に立った「大胆な決断」を見習うべきであろうし、国としては冷静に「大局的な視野」に立ってこの問題の解決のため積極的に乗り出す、そういう環境作りが求められると考えられる。そのような見地から官民協力して解決への努力をするのが好ましいとする論調が、韓国の側からも提起されていることに注目すべきであろう。