【聖書から見た右派と左派】知恵ある者の心は右側、愚かな者の心は左側

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伝道書10:2 知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。

世の中には賢い者と愚かな者の二種類の人間が存在しており、知恵ある者(右派)の心は右に向き、愚かな者(左派)の心は左に向くのである。ここで言う知恵とは、知識ではなく、神との関係性を意味する霊的概念である。

右側の人は自分自身を賢い人だと思わないが、左側の人は自分自身を賢い人だと思い、自分の思い通りに生き、口数が多く、教示することを好む。

10:3 愚かな者が道を行くとわき、思慮に欠けている。自分が愚かであることを、みなに知らせる。

左側の人は知っているふりをしたり、賢いふりをしたりして、自分が愚かであることを暴いてしまう。あれこれと、やりたいと言う話しを聞いてみると、「実現可能性が低く、無駄なことに時間を費やすものだ」と考えてしまう。非現実的な、雲を掴むような話でも、本人は全く気づかない。

10:8-9 穴を掘る者はそれに落ち込み、石垣をくずす者は蛇にかまれる。石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。

本来の目的や願いとは正反対の結果が現れ、事柄が失敗に終わってしまうということの例を挙げている。自分で仕掛けた罠に自分が引っかかるという意味である。物事は限りある自分の知恵だけでは進まないし、自分の意のままに、自分の計画通りに運ばない場合が多い。神は、人間を謙遜にするために、あえて、能力が生かされない状況を与えるかもしれない。

世界は創造主である神のみ手によって導かれるものだが、左側の人は自分の思い通りになると思い込み、予想通りの結果になるとは限らないということを、考えもしない。しかし、自分の能力を過信し、自分の限界を忘れるとしたら、せっかくの能力は仇となる。それで、創世記3章5節には「目が開け、神のようになりたい・・」と願ったことが人間堕落の根源であると記されている。

10:12 知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす。

左側の人は、自分の悪逆無道な振る舞いで自分自身を破壊してしまう。自分の語った虚偽や中傷する言葉は、いつか自分に返り、自らの身を滅ぼすことになる。

10:13 彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、みじめな狂気。

「狂気」とは、言葉や行動が非常識で、道義に反し、理解力が乏しく無分別に行動すること。

10:14 愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることをだれが告げることができよう

左側の人は口数が多く、忙しく動き回りながら、目先のことさえ見えていないというのです。知恵ある者は、少ない言葉で、人に恵みをもたらすことができるが、愚か者は機関銃のようにしゃべり続け、人を疲れさせるばかりで、後で何を言おうとしていたかも分からなくなる。

10:15 愚かな者の労苦は、おのれを疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。

左側の人は、意味のない苦労が多く生涯を無駄に終わらせてしまう。自分の成すべきことも解らず、行いには実りがなく、虚無感だけが残る。伝道書1章2節に「空の空。空の空。すべては空」とあるように、虚しく、天国に入ることもできない。

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