【山下美智代コラム】太極旗集会「国民統合を訴える真の愛国者となろう」

1573382837015-1.jpg
한국어
11月2日、ソウルにある光化門駅(クァンファムン)から外に出ると、遠くから叫び声が聞こえてきた。土曜日の光化門広場は、太極旗集会で、常に満員だ。まるで、「この場所は、他の奴等(革新派)には、絶対に渡さない」と叫んでいるような雰囲気を感じる。

進歩派のロウソク集会(文化祭)に較べると年齢層が高く、年配の方(オルシン)が多い。若者は皆無と言っていい程で、殆ど見かけない。そういった年配の方々が、力を振り絞って、集会に参加している。ロウソク集会には、負けじとも劣らないパワーを感じる。

その雰囲気の中で、今まで苦労して、国を復興させ、成長し発展へと導き守ってきたと言う、強い自尊心を感じる。そして、今また、国の危機を感じ、「自分達がこの国を守らなければ」ともう一度立ち上がっている様に思える。

彼らは、太極旗を翻しながら愛国の情を感じる。「あっちの太極旗(ロウソク集会側の物と思われる)は、太極旗ではない。これが本物だー!」と叫んでいる。私には、その太極旗の違いは分からないが、この方々にとっては、命懸けで守ってきた誇りある太極旗だ。

彼らは45年、光復を迎え、政権(保守派と呼ばれる)を立て、この国を引っ張ってきた。進歩派にとっては、保守派勢力は親日派として、日本に媚を売りながら、財閥と成り、その財閥が政権を握り、自分達の思いのままに、国を動かしてきたと思われているのかも知れない。保守派が全て親日派ではないだろうが、保守派=親日派はまるで売国奴の様に言われる(私としては、親日派が何故悪いと思ってしまうが)。

これまでの発展の影には、犠牲になり、恨みになるぐらいの悔しい思いをして来られた人々がいるのは保守派も同じだろう。その思いをも乗り越え、この国の為に生きてきたと言う愛国者の意地を感じる。

1573382837015-4.jpg

キリスト教会の牧師様が声を枯らしながら大声で叫んでいた。「生命をかけて・・・」と。本当に命懸けだと言う気迫が伝わってきた。そして、「サウジャー!(闘おう!)、サウジャー!(闘おう!)」とシュプレヒコールだ。 

一体、何と闘おうと言うのだろうか。「文在寅 弾劾」と退陣を迫り、文政権と闘おうと言うのか。ロウソク集会をしている進歩派と闘おうと言うのか。何を持って、何を武器に闘おうと言うのだろうか。内乱でも起こそうと言うのだろうか。キリスト教の牧師が生命がけで訴えるのは、内乱であってはいけないだろう。

今、「文在寅 弾劾」を叫ぶのは、3年前に「朴槿根 弾劾」を叫ばれ、退陣に追いやられた仕返しの様に、「目には目を、歯には歯を」にならないだろうか。まるで売られた喧嘩を買う様に、誰かの煽動に乗せられてしまうのではないか。この国に内乱が起きて、喜ぶ国民はどこにもいないはずだ。誰も内乱を望まないはずだ。

キリスト教の牧師様が命懸けで訴えるのは、イエス様の教えであって欲しい。「右の頬を打たれたなら、左の頬を出す」イエス様である。「自分を愛する様に、隣人を愛せよ」と言われたイエス様である。では、今、文在寅大統領の退陣を叫ぶよりは、文在寅大統領と共に、この国の更なる発展の為、国民の幸福の為に共に知恵を出し合い協力しあうべきではないのか。

保守派と呼ばれる勢力が今まで、長く政権を握ってきた時期があった。独裁政治と言われ、多くの国民が犠牲となり、闇に葬られたきた時期があった。それ故に、今まで進歩派グループにより、民主化運動や改革運動がなされてきた。抑えようとして、抑えられるものではないだろう。大統領を退陣させ、新たに立てたとしても、同じことが繰り返されるだけではないだろうか。

今また、進歩派が立ち上がったならば、保守派に悔い改めるべき内容があるからなのだろう。悔い改めるべきは、悔い改め、進歩派代表として立っている、文在寅大統領と共に、この国の進むべき道を探すことが、イエス様の教えに従うことであり、それが神様の願いではないのかと思う。

愛国には保守も進歩もないはずだ。国民の願う我が国(ウリナラ)目指して、そして南北統一に向けて、世界の平和に向けて、まずは保守と進歩を超えて国民が一つとなろうよ。

1573382837015-3.jpg