深まる原発事故の痛手
東京電力福島第一原発の事故が発生してから8年がたったが、2号機で溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しや廃炉までどれほどの時間がかかるかについて、いまだ目処もつかず、この事故現場は「寝ているライオン」のように、人々を絶えずリスクで脅かしている。現在、避難生活を余儀なくさせられている人はいまだ4万人を超える。
「除染」には、2016年末までで作業員は延べ3000万人、2兆円6250億円以上の費用が投入されたが、「手抜き除染」や市街地に放置されている2200万トンの汚染土、そして8000bq/kg以下の汚染土を土木工事に「再利用」する方針などが深刻な課題として浮上している。
人間の尊厳が奪われた
一方、被災地では、放射線被曝のリスクについて口にすることはタブーである。そんな言葉を口にすれば、リスクを過剰に懸念して心苛まれる人が増えるし、風評被害を助長し、復興を邪魔することになると言われる。
政府の本意は、除染により避難指示解除、賠償・住宅などの支援は打ち切られたし、避難は終わった、健康被害と原発事故は因果関係なし、復興は進んでいる、原発事故はたいした事故ではなかった、原発事故は終わった、何もなかったとしたいことにあるだろう。
しかし、低線量被曝被害の深刻さを危惧する人々や自主避難者などの心の葛藤を無視し、この人々を見捨てることになってはならない。被曝リスクは被災者の自己責任ではなく、原発を推進した国と電力会社に責任があるので、政府は憲法に記される平和的生存権に基づき、人々が被曝を避ける権利を保障せねばなならない。
ところで、この間、この国では、国家の信用と民主主義の基盤が崩される現実が露呈している。報告されるべき公文書やデータが、隠蔽・改ざん・意図的削除され、それについての説明責任放棄・責任所在の不明確さ・口裏合わせなどが次々と報道されている。
実は、核兵器と核の「平和利用」は表裏一体であり、技術的には線引きできないと言われている。原発の情報隠蔽・買収など非民主的な運営や事故が起これば、声の小さい弱者を切り捨て、被害者の苦しみが無視されるのは、「平和利用」を訴える原発が核兵器に象徴される経済力や軍事力という「力の政治」と癒着しているがゆえだろう。
分裂のエネルギーから「聖霊」のエネルギーへ
「核エネルギー」とは「分裂」のエネルギーである。原子を結合させていたエネルギーを突如反転させ、すべてを壊滅する力を得るものである。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」(創世記3・5)とあるように、福島第一原発事故は、巨大な分裂のすきまにその正体を表した悪魔の顔であったとも言える。
教皇フランシスコは、核兵器廃止に前向きである。核兵器が「力の象徴ではなく、恥の象徴」「核兵器は、必要悪ではなく、絶対悪」という認識は、原発にも当てはまる。
教皇のこうした展望を私たちも共有しましょう。そして、いのちを生み出す生態系を破壊する恐怖・威嚇・虚構の力である核エネルギーから「聖霊」のいのちのエネルギーへと転換するように、悔い改めとゆるしがもつ癒しの力をいただけるように原発事故8周年を迎え、一緒に祈りましょう
分裂エネルギーから聖霊エネルギーへ!核兵器は「恥の象徴・絶対悪」
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