【経営セミナー】優れたリーダーはどうやって行動を促すか(Part2)

PicsArt_05-22-10.17.38.jpg
한국어 English
私がお話していることは私の意見ではなく、全ては生物学の原理に基づいていることです。心理学ではなく生物学です。ヒトの脳の断面を上から見ると脳は3つの主要な部位に分かれているのがわかります。それは「ゴールデンサークル」と対応しています。

一番新しいホモサピエンスの脳は大脳新皮質であり、「何を」のレベルに対応します。新皮質は、合理的分析的な思考と言語とを司ります。内側の二つは大脳辺縁系に対応し、これは感情、信頼、忠誠心などを司ります。また、ヒトの行動を司り、全ての意思決定を行いますが、言語能力はありません 。

言い換えれば、外から中へのコミュニケーションを行っているとき、確かに大量の複雑な情報を理解できます。機能やメリットや事実や数値などです。しかし、行動につながりません。その反面、中から外へのコミュニケーションを行っているときには、行動を制御する脳の部分と直接コミュニケーションすることが出来ます。言葉や行為によって、理由付けは後からすることができます。直感的な決定はここから生まれます。

時には、誰かにあらゆる事実やデータを伝えても、「細かい事実は分かったけどどうも納得感が得られない」と言われることがあります。どうして、ここで「感」なんでしょうか?理由は、脳の意思決定をする部位は、言葉を扱えないからです。

せいぜい「分からないけど納得'感'がない」という言葉なのです。時には、胸の内一つとか、魂の導きに従ってとも言いますが、でも別に頭以外の部分で、意志決定するわけではありません。すべては、大脳辺縁系で起きています。辺縁系は、意思決定を司り、言語は担当しません。

人々は 「なぜやっているのか」に反応するのに、なぜやっているのか、自分でわかっていなければ、投票してもらうにせよ、何か買ってもらうにせよ、みんなを引き付けられるわけがない。さらには、あなたがしていることに忠誠心を持って加わりたいなどと思わせられるわけがない。

自分の商品を必要とする人に売るのではなく、自分が信じるものを信じてくれる人に売ることを目指すべきです。単に仕事を求めている人を 雇うのではなく、自分の信念を信じてくれる人を雇うことを目指すべきです。

PicsArt_05-22-08.48.44.jpg

私がいつも言っていることですが、仕事ができるというだけの理由で採用した人は、お金のために働くでしょう。しかし、あなたの信念を信じてくれる人を雇えば、その人は血と汗と涙を流して働くのです。このことを示す例としてライト兄弟ほどふさわしいものは 他にありません。 

サミュエル・ピエールポント・ラングレーについては知らない方が多いでしょう。20世紀の初頭には、有人動力飛行の追求は今日のドットコムのようなもので、誰もが試みていました。そして、サミュエルは成功のレシピと言えるものを備えていた人でした。

今日、誰かに「製品や会社が失敗した理由は何ですか」と聞くと、 返ってくる答えはいつも同じ3つの項目です。資金不足、人材不足、市場環境の悪化。いつもこの3点です。詳しく見てみましょう。サミュエル・ピエールポント・ラングレーは、5万ドルの資金を陸軍省から与えられ、飛行機械を開発していました。従って、資金問題はありませんでした。

ハーバード大に在籍し、スミソニアン博物館で働いていた彼は、人脈豊富です。当時の頭脳たちと通じていました。金にものを言わせて最高の人材を集めました。市場の環境は絶好。ニューヨークタイムズは彼を追い掛け回し、みんなラングレーを応援していました。では、どうして皆さんはサミュエル・ラングレーのことを聞いたことが無いのでしょうか?

そこから数百マイル離れたオハイオ州デイトンにいたライト兄弟のオーヴィルとウィルバーは、成功のレシピとはまるで無縁でした。お金がなく、夢に挑む資金は、自分たちの自転車店から持ち出しで、ライト兄弟のチームの誰ひとりとして大学を出てはいませんでしたし、オーヴィルとウィルバーも同じでした。

勿論、ニューヨークタイムズに追いかけ回されたりもしませんでした。違っていたことは、オーヴィルとウィルバーは大義と理想と信念に動かされていたということです。彼らは、もしこの飛行機械を作り上げることができたら、それは世界を変えることになると固く信じていました。

それに比べ、ラングレーは違っていました。彼が求めていたのは富と名声です。それによって得られるものが目的であり、富を追求していたのです。そして、どうなったのでしょうか?

ライト兄弟の夢を信じた人々は、血と汗と涙を流して共に働きました。もう一方のチームは、ただ給与のために働きます。ライト兄弟は、外へテストに出かけるたびに、部品は5セットずつ持って行ったと言います。夕食に帰るまでには、5回ぐらい壊れるようなものだったからです。 

そして、ついに1903年の12月17日のこと、ライト兄弟は初飛行に成功したが、それをその場で目撃した者もいませんでした。そのことが広く伝えられたのは、数日経った後です。そして、ラングレーの動機が適切でなかったことを示すさらなる証拠は、ライト兄弟が飛行したその日に彼は諦めたということです。

彼はこうも言えたはずでした。「連中はよくやった。我々の手でもっと改良してやろうじゃないか。」でも、そうはせず、一番になれず、金持ちになれず、有名にもなれなかったので彼は諦めました。 

  2