【3.1運動100周年】独立宣言は日本への断罪ではなく、人類の理想実現への崇高な呼びかけ

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日本カトリック正義と平和協議会会長 勝谷太治司教
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今年の3月1日は、日本からの独立を求め朝鮮半島全土で人びとが立ち上がった3・1独立運動から100周年です。1919年3月1日、日本の植民地下ソウル・パゴダ公園で宗教指導者らを中心に独立宣言書が発せられ、数万人の市民がソウル市内を「独立万歳」の叫びを挙げながら行進しました。この動きは朝鮮半島全土に波及し、200万人の人たちが立ちあがったといわれます。

この3・1独立運動に象徴される朝鮮半島の人たちの植民地支配からの独立・解放への血のにじむ闘いと抵抗の精神は連綿と受け継がれ、近年のキャンドル行動や南北平和に向けた運動にも引き継がれているといえるでしょう。

韓国司教協議会会長談話

ところで、韓国カトリック司教協議会会長を務めるキムヒジュン大司教は、2月20日に3・1運動100周年について「3・1運動の精神の完成は真の平和」というタイトルの談話を発表しました。そこでは「100年前に多くの宗教者が独立運動に参加した歴史的事実を、私たちは覚えています」としながらも「しかし、その歴史の現場でカトリック教会が自分のなすべき役割を果たさなかったことを告白します。

韓国カトリック教会は、時代の兆候を正しく見ないまま、民族の苦しみと痛みを無視し、捨ててしまった過ちを慚愧の思いで省察し反省します」とされます。独立宣言書の作成には、天道教(15人)、プロテスタント(16人)、仏教(2人)が参加しましたが、そこにカトリック者の名前はありませんでした。

それは「朝鮮王朝後期における過酷な迫害を経験して、ようやく信仰の自由を得た韓国カトリック教会は、当時、困難で骨の折れる時期を過ごしました。

それゆえ、外国の宣教師で構成される韓国カトリック指導部は、日帝の強制併合に伴う民族の苦しみと痛みについても、教会を維持して信者を保護しなければならないという政教分離政策を掲げ、解放を宣言しなければならぬ使命を無視したまま、信者の独立運動への参加を禁止し」たからであり、さらに「後には、信者に日本の侵略戦争に参加することや神社参拝を勧告することまでし」たと言われます。

しかしながらキム大司教は「私たちは、3・1運動の精神を受け継ぎ、お互いの相違が差別と排斥ではなく、対話の出発点となる世界で、戦争の不始末を越えて、真の懺悔と赦しとして和解をなす世界を作ろうとします」、「韓国カトリック教会は、過去を反省して、信仰の先祖たちに恥ずかしくない子孫となり、朝鮮半島に真の平和をもたらし、さらにアジアと世界の平和に貢献することができるように祈り、絶えず努力します」と強調します。

日本の責任

ひるがえって今年の3月1日は、私たち日本のカトリック教会にとっても、歴史を直視し、朝鮮半島を初めとするアジアの人々と平和をいかに築くのかを問い直すべき日でしょう。日本のカトリック教会は、植民地時代の韓国カトリック教会に大きく関与しましたし、日本の侵略戦争への協力を信者に促したことについても責任があります。

さらに1945年に植民地から解放された後の朝鮮戦争と南北分断の根源にも、明治以来の日本の侵略政策という歴史があります。

現在また、政治において日韓政府の間は緊張していると言われますが、私たち日韓のカトリック者は、同じ平和の福音のもとに集うイエス・キリストの弟子・兄弟姉妹として、日本の過去の加害の歴史を見つめながら、文化・宗教など市民によるさまざまな交流を深めていくことがたいせつです。

それが100年前に朝鮮独立運動に立ち上がった人々、そして現在、朝鮮半島と東アジアの平和を祈り願う人々に対して、私たちが今果たすべき応答ではないでしょうか。

普遍的呼びかけとしての3・1宣言書

3・1宣言は、次のように呼びかけます。

「日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年(1876年)に結び、(朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず)そこに書かれた約束を破ってきた。しかし…わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。…日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。

…ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。

新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じ込もるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。

いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう」(外村大・東京大学教授訳)。

すなわちこの独立宣言書は、日本を非難断罪するためでなく、差別や民族の自己決定権を奪い取る植民地主義の克服という、より崇高な人類普遍の理想実現への呼びかけ・招きです。そしてこれは韓国・朝鮮の人びとのみならず、100年後の今を生きる世界のすべての人にとっても、記憶し、想起されるべき内容を含んでいます。

それゆえ、私たち日本のカトリック教会信徒も、韓国カトリック教会とともに、この「宣言書」のめざす地平を見つめ、国家よりも人類、またキリスト者として、東アジアと世界の平和と人間の尊厳を尊重し合っていく人間の歩みを前進させることを祈り求めましょう。
2019年3月1日

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