【日韓交流】二階俊博特使団訪韓、「韓国と日本は大国! 協力の時代を共に切り開いていこう」

DSC_1181.JPG二階俊博·自民党幹事長(前列右から4人目)、金大中ノーベル平和記念館訪問
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日本の安倍晋三首相の特使として韓国を訪れた自民党の二階俊博幹事長が10日に、全羅南道にある金大中ノーベル平和賞記念館を訪れた。二階氏は前全羅南道知事の李洛淵(イ·ナクヨン)首相、同道出身の野党「国民の党」の朴智元(パク·ジウォン)前代表と親交があるとされる。

二階氏は自身のホームページで、「兄弟のような韓国の友人」とする朴三求(パク·サムグ)錦湖アシアナグループ会長をはじめ、朴智元国会議員、姜東錫(カン·ドンソク)元建設交通部長官、許南植(ホ·ナムシク)元釜山市長ら、韓国の友人たちとの縁を紹介するほど、自民党を代表する「親韓派」議員として知られている。

2003年、訪韓した二階氏は、青瓦台で朴智元·大統領秘書室長と会談し、在日外国人に対する参政権について「実現に向け、引き続き努力する」と述べたほどの親韓派である。この際、二階氏は韓国の国立墓地「顕忠院」に参拝したことを紹介し、靖国神社に代わる新たな追悼施設について「必要性をあらためて認識した。実現のために努力したい」とも述べた。

2009年、日本が麗水国際博への参加を真っ先に表明した時も、その中心人物は二階氏だった。当時、竹島の領有権問題で、韓日両国は外交的に対立していたが、経済産業相だった二階氏は、国会議員一人一人に会い、麗水国際博への参加を呼び掛けたという。

「韓国が製作した麗水国際博の広報紙に、竹島が韓国の領土として記載されているとの理由で、議員たちの不満が多い。地図をみると、竹島はどこにあるか見えないほど小さな島じゃないか。大げさに振る舞うのではなく、隣国のイベントの成功に向け力を合わせよう」と説得した。

一方、旧日本軍の慰安婦問題を謝罪した「河野談話」と、植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」の見直しを求める声が自民党内で上がり、日韓関係の新たな火種となっていることについて、二階氏は「大多数の議員はそう考えていない。談話を見直すことはないだろう。政治家が争いの火種を探し、火をつけるようなことをしてはいけない」と断言する。

このように、隣国との関係を重視する二階氏を「親韓·親中派」と非難する人に対しては、「隣国との関係を悪化させる政治家が国民の信頼を得られるだろうか。30年以上政治に携わってきたが、他人のまねをしたり、誰かの指示を受けて政治をしたりしたことはない」と忠告する。また、韓国の中国重視政策が反韓感情を煽っているとの主張に対しても「韓国の外交政策に日本が干渉する必要も理由もない。日本、韓国、中国の協力と友好は言うまでもなく皆にとって利益になる」と力説する。

二階氏が韓国と初めて縁を結んだのは、1982年のことだった。和歌山県議会議員として地元高校のフィールドホッケーチームを率い、親善試合のため韓国南部の大邱とソウルを訪れた。「生徒たちは、言葉は通じなくても身振り手振りでコミュニケーションし、すぐに親しくなった。当時の生徒たちは、そのときの経験から数十年経った今でも『韓国が好きだ』と言う。」

この時から民間交流の大切さを実感した二階氏は、約5500社の旅行業者が加盟する全国旅行業協会(ANTA)の会長を20年間務めながら、「文化の水準が高い韓国と日本は大国だ。対立と憎悪を乗り越え、協力の時代を共に切り開いていこう」と強調してきた。

二階氏は日韓友好のシンボルとして、金忠善(キム·チュンソン)将軍を挙げる。金忠善将軍の本名は沙也可(さやか)で、壬辰倭乱(文禄·慶長の役)で朝鮮に渡ったものの「戦いに大義がない」として朝鮮に投降し、帰化した日本人である。二階氏は2010年、日本の民間団体による和歌山県での金忠善将軍の記念碑建立に助力し、記念碑に韓日友好を願う文章も残した。同氏は「韓国の政治家に会うとよく金忠善将軍を言及する。日韓が共感できる分野を探し、理解を広げていくことが重要だ」と強調する。

二階氏率いる特使団は、11日に「木浦共生園」を訪れ、記念植樹を行った後、夕方韓国訪問委員会が主催する「日韓友好の夜」行事に出席する。12~13日には、文在寅(ムン·ジェイン)大統領に安倍首相の親書を渡す予定である。
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