【日韓交流】 「カスマプゲ」日本に初めて紹介した日韓歌謡大使「水谷かおる」

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韓国人の父、日本人のの母の間に生まれた歌手水谷かおるさんは、日韓歌謡大使として30年以上日本で活動を続けている。

釜山で父が亡くなり、中学を卒業するやいなや15歳の時、母の故国日本にやって来た。言葉も分からず、 異国での苦労は幼い少女に重くのしかかつた。

しかし、苦労に立ち向かっていく母を見ながら「日本人の母は強い」と思ったという。

そんなー家を支えなければならなかった水谷かおるさんは、やがてもともと好きだった歌で生計を立てようと思いはじめる。

栃木県宇都宮から東京まで歌のレツスンに通わしたのも母であった。「カスマプゲ」 という歌を日本に初めて紹介した人が水谷かおるさんだという事実を知る人は殆どいない。また、初めて日本語と韓国語でレコードを出した歌手が水谷かおるさんだという。「当時は在日同胞達に大好評だった」という。

日本の歌と韓国の歌を歌い続ける水谷かおるさんに聞いてみた。

問︰父が韓国人で、母が曰本人だそうですね。どこで知り合い、 結婚したんですか?
答︰父は日本の医科大学に留学していたのですが、その寮で母が働いていたのです。父は母の顔つきからして、韓国人だと思っていたらしいです。

問︰いつ日本に来たのでしょうか。
答︰釜山で父が亡くなり、母の故国日本に来るようになったのは15歳の時でした。初めてその話を聞いた時、鶯きと不安でいっぱいでした。下関に着いた時、高層ビルときれいな街、そして木が至るところに植えられていたことがとても印象的でした。

問︰歌手になった動機は何でしょう。
答︰子供の頃から歌が大好きで、MBC釜山の児童合唱団でソプラノをやっていました。歌うことがご飯を食べるより好きだったのです。日本に来た母が宇都宮でスナックをやるようになり、私がその店で時々歌うことになったのですが、人前で歌いたいなら正式にレッスンを受けなさいと母から言われ、宇都宮から東京まで5年間レッスンに通いました。

そして、1974年キングレコ一ドから自費出版で 「カスマプゲ」というアルバムを制作したところ、 大阪の有線放送でヒットし、3つのレコ一ド会社から全国発売したいという依頼を受け、テイチクレコードからプロ歌手としてデビューしました。

問︰有線放送で人気沸騰した理由は何だったと思いますか。
答︰あとになって分かったのですが、日本語と韓国語の2カ国語でレコ一ドを制作したのは、実は私が初めてだったらしいんですね。それが、在日同胞達に大好評だったのでリクェス トが殺到したとのことでした。

問:日本で初めてカスマプげを出したのは、実は水谷さんが最初だったんですね。
答:そうです。それについて知っている人はほとんどいません。韓国語と日本語の2ヶ国語で歌ったのも私が初めてでした。当初、いろいろ言われたけど、在日同胞の皆さんから歓迎されたので本当に嬉しかったです。

問:日本で長く歌手として活躍されましたが、嬉しかったことや辛かったことは?
答:嬉しかったことは、運よくテレビに出演したことと韓国の歌を日本で紹介した功績が認められ、韓国の演芸協会から功労賞を頂いたことです。そして、母のような日本人が暮らしている慶州ナザレ園で慰問コンサートを開いたことです。

母から「私もナザレ園に入ることになった」と聞いて、ぜひそこで歌って見たかったです。辛かったことはほとんどありませんが、15歳のときに日本の学校に入学した時、学校の父兄たちから「朝鮮人」と呼ばれたときはとても苦しかったです。

問:時々韓国のことを思い出しますか?
答:年に一度くらい韓国の親戚に会いに行きますが、釜山の新鮮で美味しい魚が食べたくなります。

問:日本の名所の中で一番印象的だった所は?
答:徳島県鳴門市のうず潮がとても珍しく面白かったです。韓国では一度も見たことのない光景でした。

問:今は、どんな活動をしていますか?
答:東京都新宿区歌舞伎町にある韓国クラブでレギュラーで出演して歌っています。

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