ユダヤの為にナチスと戦ったムスリム

한국어 English
(ワシントンポスト、2014年9月8日)
ヌルイナヤッ・カーンは、イスラム神秘主義の修行者を指す「スフィ音楽家」の父とアメリカ人の母の間で1914年に生まれた。彼女の家族は、ロシア革命によって混乱に陥ったモスクワを離れ、ロンドンを経てパリに定住した。ソルボンヌ大学を卒業したカーンは、童話作家として活躍した。 40年11月、ナチスがフランスを占領すると彼女は家族と英国に渡った。

イギリスに着いたカーンは、チャーチルの秘密組織である特殊作戦局(SOE)にリクルートされ、無線通信エージェントとして訓練を受けた。 43年6月にパリに潜入し、コードネーム「マドレーヌ」として連合軍の上陸作戦(D-Day)を後方から支援するために、レジスタンスネットワークを密かに構築した。当時、フランスで活躍した無線通信エージェントの生存期間は平均6週間に過ぎなかった。ドイツの秘密警察ゲシュタポの優れた追跡術のためた。カーンは、フランス女性の裏切りで4ヶ月目に逮捕される。無慈悲な拷問の中でも脱獄を敢行したりした彼女は、44年9月にダッハウ強制収容所で銃殺された。イギリスは49年に民間人に授与する最高権威のジョージ十字勲章を追叙した。

第2次大戦の当時、英雄的なイスラム教徒の話は数多くある。アブドゥルホセインは、パリのイラン領事館で自分の地位を利用して、数千人ものユダヤ人がナチスに逮捕されないように助けた。後日、彼はイラン人シンドラーと呼ばれたものの、ドイツ占領軍を説得し、イラン人は元々アーリア人(ヒトラーはドイツ民族は「アーリア人」と呼ばれる卓越した人種であると信じていた)であり、イランに住んでいるユダヤ人たちは、キュロス2世の時からイラン人化したため迫害してはならないと主張した。そして、非イラン人であるユダヤ人のために数百ものイランのパスポートを発行し、彼らの命を救った。

パリ近郊のイスラム教徒病院の共同責任者であったチュニジア人のアーメドソミ氏は武器庫を設置し、レジスタンスの無線通信を助け、負傷したレジスタンスを治療してあげた。また、撃墜された多くの米国と英国のパイロットをドイツのゲシュタポとフランスの憲兵さえ恐れていた偽りのTB病棟に隠してあげた。

パリのトルコ大使・ベヒクオキンも(トルコとの縁がほとんどないと主張して)数千人ものユダヤ人に市民権の書類とパスポートを提供し、鉄道を利用して欧州全域に避難することが出来るように助けた。フランスマルセイユのトルコ総領事・ネジデッドケント氏は、ドイツに向う死の列車に80人のトルコのユダヤ人を乗せて送ろうとした計画を力ずくで抑え、彼らが無事にフランスへ戻ることができように配慮した。

イスラム教徒の女性英雄カーンは、死後に最も栄誉あるイギリス市民、フランス市民、そして栄誉軍人として称賛されたが、他のイスラム教徒と世界の至る所で主軸国(ドイツ、イタリア、日本)に対抗して戦った、250万の英国軍所属インド人の優れた英雄たちもそれに劣らなかった。史上最大の規模で志願入隊したイスラム教徒(軍の約3分の1)は、ヒンドゥー教と仏教徒と同じく目覚ましい活躍をした。戦争中チャーチルは、ルーズベルト大統領に送った手紙の中で「我が(イギリス)軍隊がすぐに戦闘に取り組むにおいて、無くてはならない軍隊の最も重要な要素」をイスラム教徒の兵士たちが提供してくれた、と書いた。1944年と45年にアフリカのフランス軍は、ドゴールの自由フランス軍と合流して26万人に及んだが、そのうちの50%が北アフリカ人であり、ほとんどイスラム教徒であった。もう一つの実質的なグループは、セネガルのイスラム小銃兵だった。これらの軍隊がイタリアを攻め、南フランスの解放を助けた。米国の歴史学者フアン·コールによると、「アリア人系」ヨーロッパで黒い肌のアフリカ人たちと戦って、彼らに敗れた結果、捏造された人種劣等説を信奉していた数多くのドイツ兵士が戸惑ったという。

東ヨーロッパではもっと多くの事例を見ることができる。例えば、バルカンのアルバニアには第2次大戦前迄に200人のユダヤ人が住んでいた。しかし、戦争が終わる頃には、2000人に達した。彼らは、ギリシャやオーストリアや他のヨーロッパの地域から脱出し、イスラム教徒の密集地域に避難して身を隠した。

歴史学者コールは、D-Day70周年を迎え、「何人かのイスラム教徒は、西欧の植民地政策に怒りを感じ、他の勢力が現れて自分たちの独立への念願を叶えてくれることを願い、「主軸国」を支援した。しかし、その数は「連合軍」をサポートしたり、時には積極的に最前線で戦ったイスラム教徒の数に比べればごく少数に過ぎなかった」と述懐した。

しかし、カーンの話やそれに似た他の話は、現代の中東の歴史では、不都合な真実のように見える。アラブやトルコ、イラン、イスラエルの兵士たちは、それぞれ違う理由から、かつてイスラム教徒とユダヤ人が協力し合ったという事実を隠蔽したがっている。しかし、これらの話は決して忘れられてはならないことであり、誇るべき名誉でもあろう。

11136731_949907975041307_1577606341252222343_n.jpg
カーンを記念する英国記念切手

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック