「大和魂」という言葉を聞けば、戦争や国境のない地球を希求する人々は、穏当ならざる印象を受けるであろう。第2次大戦末期にアメリカ戦艦にゼロ戦で体当たりした特攻隊などを連想するからである。これと同列に論じることはできないであろうが、ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機で衝突したテロリストの行為も外観的にはこれと似ている。いつの頃からか「大和魂」は、自らの命を顧みず、国のために勇敢に戦闘行動を完遂する魂、というような含意をもつようになった。
意外なことに「大和魂」という言葉が文学に最初に登場するのは、『源氏物語』である。光源氏の息子、夕霧を大学に行かせるかどうかについて、光は(学問をもととしてこそ、大和魂を世の中により有効に用いることができるであろう)と述べている。つまり、「実際的な問題解決を可能にする生活的常識的な知恵」というようなニュアンスで用いられている。
これと同様の用例は、『今昔物語』の中にも見られる。善澄(よしずみ)という法学博士の家に強盗が入る話である(「第29巻第20話」)。善澄は、強盗の狼籍を床下に隠れて覗き見していたが、彼らが門を出て立ち去ろうという時に、「お前たちの顔を全部見たから、夜が明けたら検非違使に通報して捕まえてもらう」と怒鳴った。当然ながら盗賊は、取って返して善澄を切り殺してしまう。作者は、(善澄は学問上の才能は優れていたけれど、大和魂が少しもなかったからこんな心幼いことを言って殺されてしまったのだ)と結んでいる。
同じ窃盗の話でも、フランスの古典的名著『レ・ミゼラブル』に登場する司教の応接方法は、善澄の稚拙さとおおよそ対照的である。よく知られているように、司教は、自分が大切にしていた銀食器をジャン・ヴァルジャンに盗まれ、彼を捕らえた憲兵に対して、「食器は私が与えたものだ」と告げて彼を放免させたうえに、銀の燭台2本を与えた。司教は、司法制度よりはるかに効果的にジャン・ヴァルジャンを更生させ、悪の連鎖を断ち切った。国と時代は異なるが、彼には大和魂があった。
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