【日韓交流お祭り】ミニオペラ〜愛は国境を越えて~韓国孤児の母・田内千鶴子(尹鶴子)女史(シナリオ草案)


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1919年、7歳の千鶴子は、朝鮮総督府もっぽ市庁の役人だった父を頼って、母・はるとともに海を渡った。ある日、女学校時代の恩師から、「モッポの郊外で孤児院を経営している韓国の青年が日本語先生を探している。行ってみないか」と言われた。

それがユン・チホとの出会いだった。尹到浩はその孤児院の園長だった。孤児院といっても、いまにも潰れそうなバラックであった。障子も襖もない。殺風景な30畳ほどの部屋が一つあるばかりだった。むろん畳などあるはずはない。「かます」と呼ばれる穀物や石炭などを入れる粗末なむしろ袋が敷いてあるだけだった。

ある日、尹到浩は千鶴子に言った。

尹到浩:二人でこの子どもたちの親にならないか?

しかし、当時の日本人の朝鮮人に対する差別感情は根強く、二人の結婚には誰もが驚いた。ことに内地の親戚筋の反対の声も強い中、唯一母だけは千鶴子の気持ちをよく理解してくれた。

母:(千鶴子の手を取り)神の前では日本人も朝鮮人もない。誰もが兄弟姉妹じゃきにね……。
         
しかし電気もガスもない凄まじい新婚生活だった。勿論、米などはめったに口にできない。二人だけのことではない。尹到浩も千鶴子も既に何十人という子持ちなのである。そのうえに園の子どもたちは裸足で園舎を出入りするし、朝、顔を洗うことすら知らない。生活習慣などまったく身につけていない有り様だった。

千鶴子:(孤児たちに)人間は規則正しく食事しなければいけないんだよ。顔や手もちゃんと洗って、神様に感謝の言葉を捧げてから食べなさ

それから食いっぱずれた親たちは次々と捨て子のようにわが子を孤児園に託したが、尹到浩も千鶴子も決してそれを拒まなかった。千鶴子はわが子と孤児を分け隔てはしなかった。皆、園中で育てられた。45年、終戦。36年にも及ぶ日本占領から解放され、南朝鮮は独立して大韓民国となった。立場の逆転である。

千鶴子:このまま韓国にとどまりたい。でも、世間は私の気持ちを分かってくれない。私達はこの国を支配した日本人じゃないか。

悩みぬいた末、千鶴子は夫や園の子どもたちに別れを告げて、年老いた母と一旦、日本に帰ることにした。千鶴子のお腹には三人目の子が宿っていた。辛い、切ない別れだった……。

千鶴子:(腹を見つめながら)この子を生んだら、私は木浦に帰るんだ……。

一年余後、三人目の子を携えて千鶴子は再び木浦共生園の門前に立った。

孤児たち:オモニが帰ってきた!

尹到浩:千鶴子さん……。

千鶴子:私、今日から尹鶴子(ユン・ハクジャ)と名乗るわ……。

しかし当時の韓国人の反日感情は殺気すら帯びていた。ある日、この木浦共生園にも暴徒たちはやってきた。

暴徒たち:倭奴(ウエノム)をぶっ殺せ!

尹到浩:話せばわかるよ。


しかし、なかなか治まらない。千鶴子は恐怖に青ざめた。すると、園の子どもたちが千鶴子を取り囲んだ。

孤児たち:(暴徒たちの前に立ち向かって)僕たちのオモニに何をするんだ!

千鶴子:この子たちのためなら、いつでも命を捨てられる……。

村人たちは次第に千鶴子たちに心を開くようになった。ところが、突然朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮軍が南下してきた。北朝鮮軍は日本人や日本への協力者を極端に嫌い、あちこちで「人民裁判」が行われた。千鶴子も銃口の前に立たされた。

千鶴子:(覚悟を決めて)日本がこの国にしてきたことを思えば、逃げてはならない。

尹到浩:(共産軍に立ち向かって)千鶴子を処刑するならば自分を先にしろ。

村人:ユン・ハクジャは無罪だ!ユン・ハクジャはわれわれ貧民の仲間だ!そうだ!そうだ!もっと悪い奴をやれ!

千鶴子:今日、私は死んだ。一生孤児たちに捧げよう。

ところが、翌51年、食糧の調達に出かけた尹が行方不明になってしまった。北朝鮮軍に拉致されたのでは、との噂も流れた。
 
村人:子どもを連れて日本へ帰りなさい。

千鶴子:(微動だにせず)夫の20年の仕事、この木浦共生園は私の命です。夫が帰ってくるまで、命に代えても守り抜いていきます。

千鶴子は子どもたちだけにはひもじい思いをさせたくなかった。リヤカーを引き、村人たちの家々を漬け物や残飯をもらい歩いた。しかし、長年の辛苦は千鶴子の体を確実に蝕んでいた。やがて千鶴子は病に倒れてしまった。

千鶴子:自分のために高い治療費をかけるのはだめよ。そのお金を園の子どもたちの進学資金に使いなさい。

千鶴子は朝鮮戦争で夫が行方不明になってからも共生園を守り続け、1968年に56歳で亡くなるまでに3千名余りの韓国孤児を育て上げました。その民族を越えた人間愛は「韓国孤児の母」と敬われ、木浦市初の市民葬には韓国全土から3万人が参列した。その日を、地元紙は、「木浦は泣いた」と報じた。

息子・尹基:私は、世界の孤児たちが堂々と生きるように、母の生誕100周年を機に「世界孤児の日」の制定の必要性を提唱しました。そして今、それを端に発し韓国では国連「世界孤児の日」制定推進が動き始めました。 

地球の未来を担うすべての子どもたちが、健やかに成長する権利を持つという合意を社会に根付かせ、国際的な孤児への意識や関心を高めるための働きです。 

国連「世界孤児の日」制定推進運動への、皆さまのご賛同を心より訴えます。 

皆さん、「親」という字を書いてみて下さい。「木の上に立って見る」と書きます。子供が遠くまで去っていく姿を、親はいつまでもいつまでも見ています。その姿が見えなくなると、木の上に立って見る。そうした親がいて、人の子は育つのです。

その親を失った子供たちにとって、もし千鶴子さんがいなかったらどうなったでしょう。千鶴子さんの国境を超えた愛によって、3千人近い孤児たちが今、立派な社会人として生きているのです。

明治から大正に元号が変わった1912年、「韓国孤児の母」田内千鶴子が生まれたように、平成から令和に元号が変わる今、「世界孤児の母」がたくさん生まれることを望んでおります。

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