NGOモドゥモイジャ・川崎栄子代表「自分と家族の命を懸けて」

한국어
11月26日、東京都内で、脱北者と日本人が結成したNGO「モドゥ・モイジャ」の代表・川崎栄子氏(73)をインタービューした。(インタービュアー:金金山)

今年1月15日、脱北して日本に戻った在日朝鮮人や日本人配偶者ら12人は、北朝鮮への帰還者の人権保障を求める「人権救済申立書」を日本弁護士連合会人権擁護委員会に提出した。「日本政府は日本人妻救出問題を拉致問題と同時に進め、北朝鮮に残っている日本人たちが皆帰って来るようにして貰いたい。日本から行った在日朝鮮人とその子孫たちの自由往来を実現させるために協力を求める」のが申し立ての趣旨だ。

2014年2月、国連の特別調査委員会(COI)は、食糧危機や政治囚収容所での拷問や虐待、他国の人びとの拉致など北朝鮮による人権侵害を「人道に対する罪」と歴史上初めて認定し、人権理事会は翌月、責任者に対する制裁や国際的な刑事司法の枠組みへの付託を国連安全保障理事会に求める決議を採択した。

国連は、このような決議採択に対して国際的な支持を引き出すために、極秘裏に3人の脱北者をスイスジュネーブの国連本部に招いて、情報の真偽を徹底的に調べた。川崎栄子さんはその一人であり、自分の身を危険にさらしながらも、今迄長年にわたり北朝鮮の過酷な現状を国際社会に訴えてきた。

1960年代、北朝鮮は朝鮮戦争で失われた働き手を補充するために、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を推進した。そして、終戦当時食糧難に直面した日本も、在日朝鮮人を抱えることで大変な負担を感じたため、北朝鮮の帰還事業を歓迎した。

日本の政党やメディアは北朝鮮は衣食住の心配も差別もない「地上の楽園」であると宣伝した。遂にインドのカルカッタで日朝両国赤十字社の間で帰国協定が調印され、資本主義から社会主義への民族の大移動と言われた帰国事業が始まったのである。

在日朝鮮人は、当時の貧困や差別、北朝鮮の社会主義の優位を背景に北朝鮮への帰還を決意した。しかし、宣伝を信じて北朝鮮に渡った人々は、資本主義圏から来た危険分子として扱われ、厳しい差別と監視対象となってしまった。

1959年から1984年までの間に9万3000人以上の在日朝鮮人と1800人の日本人妻と6800人の日本人家族が帰国船に乗って北朝鮮に渡った。日本人妻たちは3年たったら帰郷できるという話を信じて帰国船に乗り込んだが、実際には日本への自由帰国が許されることはなかった。

1960年、在日朝鮮人の川崎さん(当時17歳)も帰国船に身を託したが、着いた所は余りにも酷いところだった。朝鮮総連はすべての自由が保障されていると宣伝していたのに、その正反対にそこはすべての自由が認められない人権不毛の地だった。

北朝鮮の清津へ降ろされたとき彼女は「ここはいったいどこだろう。船がしけで荒波にもまれている間に時間がタイムマシンに乗って300年くらい逆戻りしてしまったのではないか」と自分の目を疑わずにはいられなかったという。昔、アフリカのことを「暗黒大陸」と呼んだことがあったが、北朝鮮に着いた彼女は「ここは暗黒大陸よりもっと怖い所だ」と悟った。

北朝鮮は李朝の封建社会から直接日本の植民地になり、ソ連によって金日成に託されることによって一度も本当の意味での自由と民主主義を味わった事が無かった。だから人々は支配者と被支配者の階級構造を人間社会の常識として当然だと思い、金日成から金正一に権力の世襲が行われてもそれを当然のこととして受け入れていた。

「この国は外部からの影響力が加わらない限り、変えることが出来ない」と判断した川崎さんは、2003年に脱北を敢行した。「何としても在日朝鮮人たちを北朝鮮へ送り込んだ張本人である朝鮮総連に罪を認めさせ、過ちを正し、北朝鮮を変えて行かなければならない」と彼女は決心した。

しかし、自らが陰の存在でいては人の心の神髄に訴えることはできないし、相手の心に響かないと思った彼女は「これからはもう逃げ隠れするのはやめよう」と決めた。そして、自分と家族の命を懸けて、日本人妻と帰国者問題の解決を訴えてきた。

最後に、川崎さんは北朝鮮を潰したいのではなく、「普通の国」になって貰いたいと強調した。その為には「先ず北朝鮮に一番影響力を持っている朝総連が変わらなければならず、そこから南北統一の道も開かれる」と言い、「北朝鮮が変わればアジアの問題が解決され、その時初めて世界平和が訪れる」とスローガンを唱えた。

脱北者は現在、日本に約二百人おり、関東には百三十人ほどが住んでいる。韓国には北朝鮮を逃れた人たちに対する社会適合施設があるが、日本にはなく、人権NGOや有志が支援しているのが現状である。川崎さんは、可哀想な北朝鮮の住民や脱北者らを見捨てる神様がどこに居るんだろうかとつい自分の本心を話した。

川崎栄子のプロピール
1942年7月11日、京都府久世郡久御山町で在日2世として生まれる。父•朴鐘鎬(パク•ジョンホ)は、韓国慶尚南道、母•鄭正任(ジョン•ジョンイム)は、韓国全羅南道の出身である。韓錫圭(ハン・ソッキュ)の筆名で手記「日本から『北』に帰った人の物語」を出版している。

DSC_0037.JPG
左からアジアニュース・金金山代表、川崎栄子代表

この記事へのコメント

  • 大阪府民

    ここは、日本です。いつも思いますが、日本人被害者について、真っ先に言ってほしいです。
    拉致被害者を返せと。自分の国の間違いを正すのなら、自分の同胞の救出より先に
    違法行為を行った国を恥じ、真っ先に糾弾してほしいです。

    在日の方はいつも、自分が困るからの視点でものを言っているように感じます
    自分もおかしいと思うから、拉致問題を謝罪して早く返せっていわないと日本人の信頼は得られないと思いますよ。民団にしても、韓国に異議を申し立てる時、俺たちが日本で批判にさらされて嫌な目にあうからみたいな言い方をしますよね。そんな言葉みて、日本人は、所詮日韓友好じゃなく、自分たちの立場が弱くなるからの視点で言ってるんだなと、しらじらしい気持ちになります。

    日韓友好って何ですか? 自分の国の立場にだけ立って、一方的に日本にわからせようとするのは日韓友好じゃなくって、エゴっていうんですよ。
    2016年06月12日 23:04

この記事へのトラックバック